2024.1.1
新年の爆竹で目が覚めた.どうやら短い時間でも睡眠は取れたらしい.しかし呼吸が浅くなっているからか酸素が足りず寝起きがめちゃくちゃしんどい.例外なくkyoニキもそのようだが私よりも重症だ.顔も真っ青である.出発前は軽食としてクッキーと白湯を渡されたが正直パサパサなので全く欲しくない.仕方なく3個だけ白湯で流し込んだ.
テントを出ると我々が一番遅いスタートなのか回りには誰もいなかった.他パーティーは相当早く出たのだろう.我々も0:30にスタート.ロムリーがペースを作ってくれるお陰でかなり有難い.すり足のような歩調で6~7時間後に山頂に到達する計画とのことらしい.
ここで効いてくるのがPOLE POLE.スワヒリ語で「ゆっくり」を意味する.正直このすり足ペースはかなり遅く,うっかり加速しそうになるが,自分自身にPOLE POLEと言い聞かせてペースを抑える.標高がジリジリと上がって呼吸も辛いがペースのお陰でどうにか戦えている.始め死にそうな顔をしていたkyoニキも寝起きが一番辛かったとのことで歩くうちにマシになったらしい.少し安心した.
初め先行していたパーティーは遥か遠くを歩いていると思っていたが,何故か追い付いてしまい抜かしていく.ロムリーのこのすり足ペースでもどうやら相対的にはかなり速いらしい.外人パーティーはこの標高でも陽気な人が多く動物園かのように騒いでいたがオーバーテイクする際に観察するとそうした人たちでもめちゃくちゃしんどうそうであり,気丈に振舞っているのだと思うと可愛く思えた.また,パーティーによっては「キリマンジャロの歌」を歌わされており息も絶え絶えで少し可哀そうだった(笑).
休憩は200mに一度白湯を口に含む程度で長居はしない.このスタイルは我々に合っていてとても良かったが人によっては文句の一つや二つでも出てきてもおかしくないと思った.ロムリーはかなり頻繁にこのペースで問題ないかと確認してくれたのも良かった.
標高5450m辺りから雪がのこっている箇所が現れ始めた.空気は乾燥していると同時にかなり冷えてきた.それでも動いていればインナーグローブとソフトシェルでどうにかなる程度の寒さで助かった.今晩は山に雲一つかかっておらず,月明かりが山肌を明るく照らすお陰でヘッドライトなしでも歩ける程であった.暗闇は辛いが陽が出れば優勝できると確信できる天気だったので精神的にはとても楽だった.
辛抱強く標高を上げ,5600mのギルマンズポイントに到着する頃にはほとんどのパーティーを抜かしてトップに躍り出ていた.ここまで来ればゴールは目前である.始め5400mまで登れたらいいやと弱気だったkyoニキも今や山頂まで行ける確信を持てたらしく顔色は良い.
山頂を捉え始めた辺りで徐々に明るく夜が明け始めた.2024年の初日の出が始まった.太陽が出ると百人力である.
別ルートからのパーティーも多数いるからかステラポイント以降は人でごった返し始めた.ロムリー曰くやはり新年一発目に合わせて通常よりもかなり人は多いらしい.もうこの時間でも既に下山し始めているパーティーもいる程.山頂は間違いなく戦場になっているだろう…
標高5750m辺りから流石の私も足取りがおかしくなってきて最後の100mUPはかなり辛かった.全身が酸素を欲しており,脳の指示する足の座標管理の精度が相当甘くなっていた.kyoニキは私よりも辛そうだったがどうにか前進はできるらしく気力で山頂を目指した.やはり短縮日程のデバフはかなり効いていると思った.
6:30.どうにかアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ ウフルピークに到達した.正直かなりヘロヘロである.しかし案の定山頂碑の周囲は人で溢れていた.かつて登った夏の富士山を彷彿とさせる人の多さである.どうにか順番を待って記念撮影を慣行.余韻に浸る間もあまりなく頂上周辺の写真を撮ったら即退散である.なるべく早く安全圏まで標高を落としたい.
ダウンヒルがスタートしてkyoニキの様子がおかしい…相当フラフラな千鳥足である.本人曰くハンガーノックに陥ったらしい.確かに言われてみれば起きてからほぼ何も口にしていない.ロムリーはとにかく安全圏まで早く標高を降ろさないとと主張していたがこれでは動けるものも動けないのでカロリーを摂取させてやれと指示.ロブレスもそうした方が良いと言わんばかりにロムリーと何やら言い合っていた.この場合恐らくどちらの主張も正しいのだろう.私もそこまで酷くないものの,相当エネルギー不足を感じたのでチョコバーをかじった.
ダウンヒルは登りと違ってガイド陣も平地のような速さで下っていく.その速さに問題はないのだが,急激に心拍数が上がり私もギルマンズポイントに着く頃には高山病に陥っていた.頭痛こそないものの猛烈な吐き気が襲ってきた.さっき食べたチョコバーを吐きかけたがどうにか抑え込む.これは兎にも角にも下るしか対処法はないだろう.
下りはかつてない程の辛さだったが確実に空気が濃くなるのを感じた.高山病を発症したのが下りで良かったと心底思った.この辺りから私とkyoニキそれぞれのペースで下ることとなりガイドもそれぞれに付き添ってもらう形となった.
休憩も交えつつ転がるようにKIBO HUTへ戻ってきた.ここまで標高を落とすと空気がおいしい.文字通りの満身創痍でここまで追い込まれるとは思わなかった.kyoニキは私の到着して15分程で到着.どうやら彼は彼で自分との戦いだったらしく,膝のブレーキがなくなってしまったらしい.
もうテントに入って即刻眠ってしまいたかったが出発が遅すぎるとタンカで自動的に降ろされるというルールがあるらしく昼飯を食べてまた歩き始めるしかない.
ロムリーは血中酸素飽和度を測る装置を持ってきたがその値は64%を示していた.ここまでダメージを負っているとは思わなかった.もう回復するには標高を落とすしかないと言われ,ポーター達の撤収よりも先に本日のゴールであるHorombo Hutを目指して下り始めることになった.
KIBO HUTからHorombo HUTへは9kmで1000mDOWNの道のりであった.体にムチ打ちどうにか3時間程で到着してホッとした.もう今日は歩かなくていい.登頂した喜び以上にその事実が嬉しかった.しかし雨がザーザーと降り続けており,中々テントが建てられなかったが,小康状態を見計らって設営してもらい,中へ転がり込んだ.
この後は晩飯とCheckPointの情報記入の為に起きたが他はずっと眠りに落ちたままであった.本当に長い一日だった.
1/1
0:45 Kibo Huts
5:50 Stella Point
6:30 Uhuru Peak
9:20 Kibo Huts-10:50
13:30 Horombo Huts
17:00夕食
終わり
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ちなみに何度かバファリンを服用した.こいつにかなり助けられた.